認知症だから、もう何も通じないの?
昨今このような、認知症高齢者にかかわる、家族や介護者のストレスや悩みが多く取り上げられています。
認知症だから、もう何を言っても無駄なのでしょうか?認知症になったら、もう何もできないのでしょうか?
こういった、認知症高齢者とのコミュニケーションを改善する手法として、医療や介護の世界で注目されているのが、ユマ二チュードという手法です。では、ユマ二チュードとはどういった手法なのでしょうか?
私はいつも、あなたを見ています。
「ユマニチュードの技術があれば、本人の望まない強制的ケアを、無くすことができるのです。」ユマ二チュードの考案者である、イヴ・ジネストさんは、ユマ二チュードについてこう語っています。「認知症患者だから、きっとわかってもらえないだろう。」これは認知症ケアの現場でケアする側の誰もが直面する問題かもしれません。しかし、ユマ二チュードの手法ではまず、認知症の患者さんであっても、相手が人間であり、「あなたはそこに存在している」と伝えることが基本的な考え方となります。ケアする側が、何かをしてあげるのではなく、相手の意思を活かして、ケアする側は支える側であるという思考を最も大切にする手法。それがユマ二チュードのケアの基本原則のようです。出典:http://www.nhk.or.jp/
ユマ二チュードが繋ぐ、新しい認知症ケアの世界とは
「認知症患者さんとケアする側が友人であり兄弟でもある。そして認知症患者さんも人間である」。こういったことをケアする側が患者さんに伝えること、患者さんに感じてもらう事を大切にする。こういった考え方であり、技術であるのがユマ二チュードという手法です。相手をベッドから起き上がらせること一つとっても、相手の手首をつかむのか?それとも相手の動きに合わせて、支えてあげるのか?ケアする方法として、相手が起き上がるという結果は同じかもしれませんが、手首を掴まれることが相手の望んでいることなのか?時間がかかったとしても、相手が自分の意思で起き上がることを待ち、そっと支えてあげることは、相手にとってどのように感じてもらえるのだろうか?このような「あなたは人間である」「そこに存在している」この考え方こそが、ユマ二チュードの哲学でもあるようです。
認知症ケアにおける理想の追求の難しさ
相手は人間であり、「そこに存在している」と使えること。手法や考え方としては素晴らしいとは思いますが、では実際にこの手法を認知症介護の現場に取り込んでいけるのでしょうか?どうでしょうか?慢性的な人手不足に疲弊しきっている、医療介護の現場で、「ユマ二チュード」という理想の追求はどこまで出来るのでしょうか?
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この記事の寄稿者
ころんば
介護のほんねニュースのライター。話題の介護関連キーワードの中から気になるトピックについて解説します。