「自由に人生を選んで生きて行くための小規模多機能」ユアハウス弥生・NPO法人もんじゅ 飯塚裕久さんインタビュー

小規模多機能型居宅介護 , NPO法人もんじゅ , ユアハウス弥生
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2015.03.07
東京都文京区にある小規模多機能型居宅介護の拠点「ユアハウス弥生」の所長であり、NPO法人もんじゅ代表理事である飯塚裕久さんに小規模多機能の成り立ちや経営に対する想い、今後のビジョンについてお聞きしました!
飯塚裕久さん ―飯塚裕久さん

きっかけは祖母の呪い(?)

【岡】まずは飯塚さんの経歴、介護業界に入ったきっかけみたいなことをさらっと。

【飯塚】もともとはおばあちゃんがやってた会社です。おばあちゃんはナースで、昭和28年創業。当時は戦争が終わって8年なので、焼け野原がなくなって「人が家で死ぬことがようやくできつつある時代」だったんですよね。それで家で死ぬ人をどういうふうに支えていくかという問題があった。もう一つ、戦争未亡人という人たちがいて、旦那さんは戦争で亡くなって教師やナースみたいな資格がなく仕事がない人がいた。うちのばあちゃんは寮を作ってそういう人たちを住まわせて、家で亡くなる人のところに身の回りの手伝いをさせに行かせる、まぁ、家政婦の斡旋業ですね。創業時は「弥生医療職員斡旋所」という名前でした。ばあちゃんは、家で寿命をまっとうできる幸せに対する対価と、労働の場が提供できたことが、すごくいいことだと思ってやっていたようです。

【岡】アメリカだと宗教から始まるボランティアなどが福祉になったみたいなノリとかあるじゃないですか。そういうのとは全然違いますよね、たぶん。

【飯塚】地方はいろいろあったと思うんですけど、東京は戦争で壊れてて、ない。その時代はナースが今の介護職と同じくらい(の待遇)だったみたいですね。そういった中で仕事を生み出していた。この業界に来てから祖母のことを素晴らしいなと思います。
それで祖母が亡くなり、うちの母が社長になり、で、2000年に介護保険を迎えるわけですよ。僕はその当時、大学を休学して別な仕事をしてたんですけども、介護保険が始まった当初ってITなんか全然なく事務処理もすごく大変で家族がその処理をしていた。「家族大変そうだな」と思ってこの業界に来た、これがきっかけですね。困っている人がいるからとかではない。
でもひも解いてみると、大学は医療系なんですよ。ばあちゃんがずっと「歯医者は儲かるから歯医者になれ」って言ってて、歯医者に魅力を感じないけど人に関わる仕事がしたいと思って医療系にいったんですよね。そこからばあちゃんの呪いが始まってたんだと思うんですけど。

【岡】祖母の呪い(笑)

【飯塚】「祖母の呪い」、そうですね、おばあちゃんは「しめしめ」みたいな感じだと思います。今の僕の中では、競争するのであれば自分のばあさんと競争するようになりたい。

僕らがずっとやってきたのは、そこで暮らして本人を支え続けるみたいなこと。

【岡】今、どういうことをやっているんですか?

【飯塚】うちの会社はまず、基幹事業は訪問介護です。おおむね会社全体の売上の半分以上を占めている事業です。もともと家政婦の訪問の仕事をやっていたので、訪問のところは外せないです。訪問介護をずっとやるために1998年ぐらいから「ケアマネジャーが必要だぞ」となり、居宅介護支援、ケアマネジャーのステーションを作った。これがうちの大きな事業です。付帯事業として福祉用具のレンタルを当時(90年代)はやったり、人材紹介業、あと不動産。

【岡】不動産?

【飯塚】僕らがずっとやってきたのは、そこで暮らして本人を支え続けるみたいなことです。本人が今こうしたいということを叶えることができたんですよね。「ちょっと銀座に行きたい」といったらすぐ家政婦がお供したり、そういうことができた。介護保険ができた2000年当初は訪問という形で6時間でも7時間でも入ることができたんですけど、それが平成15年・18年の改正でできなくなったんですよ。

【岡】長時間の滞在がですか?

【飯塚】はい、そうすると今まで僕らが自信を持って本人の良い状態というのを作ってきたサービスができなくなるんです。そういった時に仕事自体がすごくつまらないものになってきます。その中で平成18年に「小規模多機能型居宅介護」というのが制度化されるわけですよね。で、そこに僕らは飛びついたわけです。

自由に人生を選んで生きて行くために、小規模多機能ってすごくいい。

【岡】「小規模多機能型居宅介護」のシステムができるってことは国の人も「やっぱり必要だ」と思ってるということですよね?

【飯塚】すでに地方でもともとできてたんです。田舎には大きい病院がない、だからそういう場を作ろうと。宅老所というのを作ります。で、保険には関係ない、体を弱くした人たちが寄り集まる場を作ってきたんです。それが非常に良かったんでしょうね。

【岡】当時は介護保険外といってもよいんでしょうか?

【飯塚】まったく介護保険もなにもない、みんな自費でできたんです。それが介護保険が始まって「デイサービスで申請したら通るんじゃね?」「ぜひ取ったほうがいいよ。そのほうが運営ラクじゃん」、で、日中だけデイサービスの設置許可を取る。だから、宅老所が中にデイサービスを持った、という成り立ちがあったんですね。
でもそうするといろいろあるわけですよ。「衛生状況どうなの?」とか「火事起こっちゃうよね?」とか。だったら24時間365日、制度の中でできるように「小規模多機能型居宅介護」を作りましょうといって作ったのが平成18年の小規模多機能型居宅介護の制度化なんですね。宅老所の仕組みを介護保険の中でできるようにしたのが小規模多機能。そこはすごく美しい話だと思っています。いつでもどこでも、僕らはご本人がいい状態になるように応援できる。今まで本人のいい状態を作ってきた僕らが、介護保険でできることが狭まったことでイライラしてるところから「解放してくれた」と思ってるんです。
小規模多機能をやることが大事なんじゃなくて、ご本人たちが死ぬ間際まである程度自由に人生を選んで生きて行くために、小規模多機能ってすごくいい。

ただ、対象人数は少ない。

【岡】けっこうボンっと始まって、制度ですごい狭められて、今またボーンってやってよくなって。前に戻ったみたいな感覚なんですかね?

【飯塚】そうですね。ただ、対象人数は少ないです。平成12年くらいだと延べ1000人くらいの方がいらっしゃったんだけど、小規模多機能は(現行の制度上でサービスを提供できるのが)25人ですから。(※2015年2月現在、29名以下へ引き上げが決まっています)

【岡】1個の拠点で?

【飯塚】そうです。1個の拠点で25人までしか提供できないので、少ないですよね。

【岡】ということは、「本当は使いたいよ」という人もまだまだたくさんいるはずですよね?

【飯塚】国策としては2025年までに小規模多機能を人口1万人に対して2か所作っていくという図が出ているんですね。たとえば文京区だと、1万人が住んでる広さってどれくらいだと思いますか?計算すると、800メートル四方くらい。

【岡】ということはその中に2か所作るということは・・・

【飯塚】そうです、2025年までに全国で24,000か所。今、1500か所。

【岡】1500?え、あと10年ですよね?

【飯塚】国は本気ですよね、これをするために。

ルールの中でいかに利用者が良い状況を掴んでいくかということにチャレンジしたい。

【岡】ほかの小規模多機能とのつながりってあるんですか?

【飯塚】全国でも、都道府県レベルでも、あと勉強会とかもあります。あとは実態調査っていうのを毎年やってますね。おもしろいですよ、ひどいところは本当にひどいし。

【岡】ひどいってどんな感じですか?

【飯塚】法律的にありなしというか、節操がない。「これやったら節操がないですよね」っていう話で、この業界の目指したいものの足を引っ張るような話だと思うんだよね。介護保険の仕組みを作った役人もそんなこと望んでないだろうしって思うんですよね。僕の中では、ルールの中でいかに利用者が良い状況を掴んでいくかということにチャレンジしたいし、経営上もまっとうなところでチャレンジしたい。なおかつ、働く人たちが納得して対価を得て生活を継続すること。

【岡】でも、小規模多機能だけじゃなくあるでしょうね、こういう抜け道というか。

【飯塚】あるでしょうね。僕は小規模多機能の成り立ちが美しいと思っているんですよ。「市民の」っていうより、「そこの」高齢者の思いを成就させようよって発生したものじゃないですか。それはやっぱり汚したくないかな。そういった歴史がある中でやって、たぶんケアの失敗も成功もしながら本人たちの生活を守るために戦いながらやってきたスタッフさんや経営者さんたちがいる。そういう人たちにやっぱり足を向けて寝ちゃいけない。

「やった分の価値が対価として貰えるような労働環境」というのが大事。

【岡】今後の飯塚さんのビジョンってどんな感じなんですか?

【飯塚】僕はこの仕事をやってずっと思ってることの一つに、「やった分の価値が対価として貰えるような労働環境」というのが大事だと思ってるんですね。世の中にある程度は能力の差があっても構わないんですよ。それをきちんと等価に交換される世界が大事。介護は、提供した価値の分だけ貰えるということを実現しやすいと思っているんですね。ただ、僕らがケア職としていろんなものを提供する価値を個人単位で増やして、ケア職全体の価値が認められるような仕事を作っていくということが、一番大事だと思っています。僕は今のケア職たちがきちんと一定の見込まれる効果を高齢者に提供できているかといえば疑問なんですよね。まだ学問としても成熟していないのでそこがきちんと言語化・体系化されるような世の中にしたい。うちのおばあちゃんが「ようやく看護婦が30万ぐらいもらえる時代になってよかった」といって死んでっている。だから介護職も実はそのくらいかかると思っているんです。だからあと20年30年というのは、30万ぐらいもらえるような層の人たちがきちんと「やっぱりもらえたよね」というような状態になるように、仕事をやっていきたいと思います。

【岡】最後に、学生や福祉業界に興味を持っている人に向けてメッセージをいただきたいです。

【飯塚】それぞれの好きなことをまずやればいいと思っています。「世の中ってすげぇ変わるよね」って思っていて、その時決めたものが全部思い通りになることはない。自分の人生を決めるのって不安だと思うんですよ。不安だしどうしようどうしようと思うから、一回もう「80年くらい時代の変化の中で生きてるおばあさんたちの話を聞きにくるといいかもしれないよ」と思う。絶対勉強になる。それは別に就職しないでも構わない。僕はこの業界に入って勉強になったなと思うし、気持ちがよい瞬間を味わうことができたと思います。あとはまぁ、勝手にやってください。

〈編集者の一言〉
いかがでしたでしょうか?「自由に人生を選んで生きて行くための小規模多機能」なんか、すごくいいですよね。高齢になるにしたがって選択を狭めるのではなく、広げ続ける仕事。最高にかっこいいです。そうなんです、介護福祉って実はとってもアグレッシブな側面をもつ仕事なんです。Hi-Standardなどのパンクミュージック好きな飯塚さんにはピッタリなお仕事ですね!!
これからも注目し続けたい人物です!!(岡)
飯塚裕久さん
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寄稿者

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岡勇樹(NPO法人Ubdobe代表理事)

介護のほんねニュース初代編集長。1981年 東京生まれ。3歳〜11歳までアメリカ・カリフォルニア州で生活。27歳で高齢者介護と障がい者支援の仕事を始め、29歳で医療福祉・音楽・アートを融合させた「NPO法人Ubdobe」を設立。近年は厚生労働省 介護人材確保地域戦略会議の有識者やNHK出演など多岐に渡る活動を展開中。(http://ubdobe.jp)