10年間にわたる父親の介護を振り返って
みなさん、はじめまして。POLE・STAR株式会社の佐久間理央と申します。高齢化社会がどんどん進む中、「介護される人のサポートは世の中にたくさんあるのに、介護する側のサポートはなぜないんだろう?」そんな思いから、キャリア(人生)とケア(介護)をキーワードに、親の介護をしている方へ、仕事を辞めずに介護を続けるための知識とメンタルのサポートを行っています。
というのも私自身、約10年間にわたって父の介護をしていました。このコラムでは、その時起こった出来事や感じたことを書きつづっていきたいと思っています。私の経験が、これから介護が始まる・している皆様のお役に立てば嬉しく思います。
父の発病前、介護をする気はなかった
私は父に介護が必要になる時まで、両親の介護をする気は全くありませんでした。自分の親が歳を取らないとか、自分の親は大丈夫とか、そんな風に思っていたわけではなく、福祉に関わる仕事をしている中で様々な状況を見てきていたので、仕事を続けながら介護をしていくことがどれだけ大変なのか、よくわかっていました。(私は介護保険制度の開始と同時に介護関係の事業所に携わり、当時は渋谷区社会福祉協議会で地域福祉や介護保険関連の仕事をしていました)
親が70歳を過ぎた頃、本人の希望に合った施設などを探し、そこで残りの人生を過ごしていける環境を探そうと漠然と家族で話していました。もちろんお金が有り余っているわけではないので、早め早めに年金で賄える公的な施設を探すとか、遠方でも東京から通える範囲で施設を探す等、元気で自分のことができるうちに、どのような余生を送りたいか具体的に話し合うつもりでいました。
ところが、それより前に突然、父は旅先で「胸部大動脈解離」により倒れたのです。そんなことで我が家の介護は“病気が入り口”で、何の準備をする間もなく、気が付けば介護状態となっていました。もともと私の父は心臓に病気を抱えていたのですが、胸部大動脈解離を発症してからは心臓だけでなく、身体の様々な個所がじわじわと悪くなっていきました。<続く>
この寄稿文は全3回の連載です。中編はこちらからお楽しみください。
この記事は、doppo の内容をアレンジしてお送りしています
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この記事の寄稿者
佐久間 理央
POLE・STAR株式会社ディレクター
大正大学大学院人間研究科修士課程修了(社会福祉学)。
私立国際武道大学、社会福祉法人武蔵野療園、社会福祉法人渋谷区社会福祉協議会等を経て現在POLE・STAR株式会社を設立。
主に福祉や生活に関する相談、コンサルティングを行っている。