治療に専念後、在宅医療へと動き出した
父は旅先での入院直後は胸部大動脈解離の治療に専念しなければならず、その後、都内の大きな病院に転院し治療を受けていました。症状が落ち着いてきたころ、病院の医療ソーシャルワーカーに相談し、病気についての知識や情報をうけ、在宅介護をどのようにするか家族で方向性を検討。在宅医療の主治医・訪問看護師等の利用を決め、介護保険を申請することから在宅介護に向け動きはじめました。
介護中に出てきたさまざまな欲求
父も一時は寝たきり状態だったものの、だんだんと病状が落ち着き始め、時間がかかっても少しずつ自分のことは自分でしてもらう様にサポートしました。
ただ、どんなにお医者さんや看護師さんから注意されても、トイレに行った後はシャワーを浴びなければ気が済まない習慣とか、ほしいものは何が何でも欲しくて、思い立つとタクシーを呼び一人で買い物に出かけて数時間帰ってこない等、心配な状況も増えてきました。
脳梗塞・年齢・心臓や肝臓等の病気・認知症等々抱えていたため、原因は複雑で、それぞれの症状が影響していたと今なら考えられるのですが、当時はそのたびに振り回されていました。
当初の希望とは違い、施設への入居は困難に
本人も「歳をとったら、施設で過ごす」等と言っていたのに、実際そうなってみると「自由がないのは嫌だし、お風呂は好きな時に入りたい」と言い続け、「要介護度4」の在宅で介護が必要な人となり、結局は約10年に。いざ、在宅介護という状況になると、本人の心境や状況の変化、家族の希望、病気への対応等の様々な面から施設という選択は難しいものだったのです。
母とともに父を介護する日々がはじまった
倒れた時、お医者さんからは、「いつ、どうなってもおかしくない状況です。だから本人がやりたいこと、好きなことは今のうちにさせてあげてください。」と言われていました。とは言うものの、「その“いつ”って、いつなの?」という思いがある中、とりあえず病気を抱えた初老の父を、母と介護する日々が始まったのでした。<続く>
この寄稿文は全3回の連載です。次回は次週公開予定です
この記事は、doppo の内容をアレンジしてお送りしています
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この記事の寄稿者
佐久間 理央
POLE・STAR株式会社ディレクター
大正大学大学院人間研究科修士課程修了(社会福祉学)。
私立国際武道大学、社会福祉法人武蔵野療園、社会福祉法人渋谷区社会福祉協議会等を経て現在POLE・STAR株式会社を設立。
主に福祉や生活に関する相談、コンサルティングを行っている。