23歳で祖母の介護を経験したヤングケアラー 福永陽子さんインタビュー

インタビュー , 認知症 , ヤングケアラー , うつ病 , 家族
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2015.10.18

ヤングケアラー経験者福永陽子さんインタビュー

若くして家族の病気や介護に直面するヤングケアラー。今回は、23歳で祖母の認知症介護を経験した福永陽子さんに当時を振り返ってもらいました。

福永陽子さん

福永 陽子さん
現在30歳の会社員。23歳のときに祖母が認知症になり、母と姉弟で介護を始める。その経験を活かし、認知症の知識を広める動画サイトをつくるなど、情報発信にも挑戦中。

「認知症に気づかなかった」 変化を見逃すと、それが当たり前に。

【中浜】自己紹介をお願いします。

【福永】福永陽子です。30歳で会社員です。2007年に祖母が大腿骨を骨折し入院した時から、介護に関わるようになりました。退院後しばらくして、認知症であることがわかりました。

【中浜】これから若い時に介護を経験する人が増えてくるので、今回は福永さんがおばあちゃんの介護をした経験を聞いていきたいと思います。まず、おばあちゃんが認知症になったときの状況を教えてください。

【福永】「認知症だよ」と母に言われるまで気づきませんでした。思い返せば、冷蔵庫に同じものがいくつかあったり、毎年母が車で花見に連れ出していたのも行かないようになったり。その時はもう認知症だったんだなと思います。

【中浜】ということは、実際は気づかなかったんですね。

【福永】そうですね、ただの年齢によるもの忘れだと思っていました。年をとったらこうなるんだなぁ、という程度です。母も同じでした。頭の良い、頑張る人だったので、認知症になるとは全く思っていませんでした。
ただ、ある日、施設に突然入ると強く言ってきたことがあって、探したんですが、そのあとあっさりやっぱりやめる、と言われたことがありました。それ以降、言動を鵜呑みにしないよう注意はしていたみたいです。

【中浜】一緒に住んでいたわけではなかったんですか?

【福永】はい。実家の近くのマンションに、犬と暮らしていました。以前は一軒屋住まいでしたが、階段もあり危ないため、近くに引っ越したんです。

【中浜】すぐに会いにいけるんですね。でも、なかなか気づかないものなのですね。

【福永】わずかな変化を一度見逃すと、その変化が当たり前になってしまうんですよね。前もそうだったから仕方がないという感じで。少しずつ変化していくので、近い人の方が気づかなく、反対に、たまに会うような場合のほうが変化に気づきやすいんじゃないかと思います。

一気に進行する認知症。どうしていいかわからなかった。

【中浜】その当時は、認知症についての知識はあったんですか?

【福永】全然ありませんでした。言葉だけ知っているくらいで、単に物忘れが多くなっていくだけかと思っていました。

【中浜】おばあちゃんが認知症じゃないかとお母さんが気づいたのはどうして?

【福永】同じものをいくつも買ってしまっていた頃に、ケアマネージャーさんにその話をすると、認知症かもしれない、と言われたのがきっかけです。
それから気をつけていると、認知症の兆候が少しずつ多くなっていきました。

【中浜】認知症の兆候というのは、なにを見てわかったんですか?

【福永】 冷蔵庫の扉をきちんと閉めなかったり、冷凍庫に入れた箱のアイスを全部食べてしまったり。
あとは、家がすごく汚くなったんです。もともと掃除が好きな人だったので。でもそれも最初は気に留めていませんでした。年をとったからなのかなと思いました。
ある日、家に行ったら、泥棒が入ったんじゃないかというくらい、家具がいろんなところに動かされていたことがありました。どうやって動かしたんだろうと思うくらい。そういう、「あれ、ボケかな?」というレベルじゃない行動が、おかしいぞっていう行動が多くなりました。鬱病もあったので、「死にたい」と言った次には怒りだし、感情の動きが止まんないなという印象。
明日どうなっちゃうんだろう。今日行ったら生きているのかな?というレベルだったんです。

【中浜】それは劇的な変化ですね。そこから介護サービスは使っていたんですか?

【福永】ケアマネジャーさんと定期健診のお医者さんが来ていました。でも、祖母はあまり人の世話になりたくなくて、他人を家に入れたくない、人前ではちゃんとしなきゃという性格でした。なので、ケアマネさんが来る際はいつも母が同席していました。
お医者さんに関しては、血圧や心音、足のむくみを見るだけでほかには何もしませんでした。
祖母が「大丈夫ですよ」と言ったこともありますが、もう少ししっかり見てあげて欲しかったですね。
それで、このままではやっていけないと母が判断し、2014年夏に、お医者さんを変えました。新しいお医者さんは20分くらいかけて診てくれていました。母も、祖母がお医者さんに失礼なことを言わないか心配して「ちょっと強く言ってしまうかもしれません」と伝えたところ、「認知症なら普通にあることですから、大丈夫ですよ」と言ってくれました。

【中浜】認知症に理解のあるお医者さんだったんですね。

【福永】ほんと、お医者さんもちゃんと選ばないといけないなぁ、と思いました。
祖母の状態を診て、なんとか良い状態を考えてあげようという態度で見てくれていました。

仕事をしながらの介護 経験したのは精神的なつらさ。

【中浜】ほとんど家族でサポートしていったんですね。

【福永】家族は両親と姉二人、弟一人の6人家族です。一番上の姉は家を出て遠くにいました。
2010年の終わりごろから少しずつ、薬の管理ができなくなったきて、毎日通わなくてはいけなくなりました。
4人で当番を決め、毎日通って食事と薬の世話をするようになりましたが、2番目の姉が2011年に留学することになり、この間は3人の当番になりました。半年後くらいに姉は帰国しますが、そのあと2度目の留学が決まり、また3人での当番制になりました。
弟は食事やご飯を届けてはくれていましたが、会話をしたり、なにか刺激を与える、というところまでは難しかったのかなと思います。

【中浜】日中は仕事をして、夜に交代して見に行くという感じですか?

【福永】そうですね。基本的に、平日は行く曜日も決めていました。ただ、仕事がどうしても終わらない場合は、母か弟、だれも無理な時は父にお願いしていました。
あとは、朝昼晩に電話して安否確認だけすることもありましたね。当番制になってからは電話の確認だけではなく、出勤前に様子を見にいったり、ということもしていました。

【中浜】仕事と介護という生活が突然始まって、どうでしたか?

【福永】最初は大丈夫かなと思っていたんですが、大変ですね。

【中浜】予想に反して大変だった、と。

【福永】そうですね、特に母は夜中に電話がかかってきたりすることもあったので、かなり体力もきつかったと思います。私は離れて住んでいたので、体力的にはまだ大丈夫でした。でも、気持ち的な方がきつかったですね。

【中浜】精神的なつらさはどこにあったんですか?

【福永】「大丈夫かな?生きているかな?」という心配が常にあったことです。電話に出なかったときに、死んでいるんじゃないかっていう大きな不安がありました。仕事中も考えてしまう。あと、実際に会いに行ったとき、すごく怒られてしまうこともあるし、穏やかに接してくれるときもあるし、その落差が激しくて、受け止める方の気持ちの余裕がなかったです。

【中浜】なるほど。いつまで介護が続くんだろうという気持ちはありましたか?

【福永】うーん、いつまでっていうことを考える余裕すらなかったです。明日行かなきゃ、会社ついたら電話しなきゃっていう、次にやることを考えてばかりで、何月にこれこれ、何月までにこれこれをしなきゃということは頭になかった。

【中浜】目の前のことに精一杯だったんですね。

【福永】自分の認知症に対する理解が足りてる、対応が正しいとかを考える余裕もなかったですし、介護について何か調べようとしてもなにから調べたらいいのかわかりませんでした。ただ目の前のことをこなすことに必死でした。
「あ、祖母のところに行かなきゃ、電話しなきゃ」ってそのことばかり。

【中浜】余裕がない。

【福永】ない。本当にない。誰かが祖母を見ていてくれているという安心感があれば、もう少しなにか違っていたと思いますが、その安心感がなかったんです。

【中浜】それで、もう介護の情報を探しに行くこともできなかったんですね。

【福永】ちょっと探したとしても、情報が無数に出てくるし……。金額もなにが普通なのかわからない。介護って言うと施設に入るというイメージがもともとあったのですが、当時はどんなサービスの種類があるのかすら知りませんでした。
施設については母や叔母が調べて実際に見学もしていました。

【中浜】介護は突然始まるから、そこからいろいろ調べなきゃいけない。でも、そのときになれば、もう余裕がない。

【福永】体力はまだしも気持ちの余裕のなさは本当に大変でしたね。こっちも祖母のうつに引き込まれちゃうんです。祖母が骨折で入院していたときも、お見舞いに行くと、ずっと死にたい死にたいとか、まだ娘(母親)を残しているから死ねないとか、すごく言われました。私はなだめることしかできない。祖母はそのことは翌朝には忘れているのですが、その当時の私は、祖母の言葉を真に受けちゃうんですよ。

【中浜】認知症がどういうものかわかっていなかったからですね。

【福永】そうです。電話にも出なかったら、「もしかして……」と会社でずっと不安になって、夜に行ったらちゃんと生きていて「あぁ、よかった」と安心するんですが、本人は情緒不安定でワーッと言われてしまう。私は「はぁ……」っていう気持ちに。

【中浜】せっかく来たのにってね。

【福永】仕事が終わって急いできたのに、なんでそんなに言われなきゃいけないのって。しかも、そういう認知症とかうつ病とかに対する理解がないときだったから、余計に反動が大きかったんでしょうね。

初めての介護は誰でもつらい 「知識さえ持っていれば…」

【中浜】しかもそれが20代で。

【福永】なんていうか、いくつであっても、初めての介護だったらみんな同じだと思うんです。もちろん、ヤングケアラーというように、本当だったら自由に好きなことを楽しめる年代に介護に直面してしまった別のつらさはあるけど、精神的に抱える負担はどの年代の人でも同じだと思います。

【中浜】そのとおりですよね。認知症介護を経験した今はもう認知症について知っていることが多いと思います。でも、介護が始まった当時から、知っていたらどうだったでしょう。

【福永】全然違っていたと思います。認知症がどういうものかがわかっていると、「あ、このことかな」っていう場面が増えますよね。私がやってしまったように祖母の情緒不安定を真剣に受け止めることはよくなくて、ちょっと落ち着いて間を置いてあげればいいということが、今ならわかる。

【中浜】当時は、100で受けて100で返していたんだよね。

【福永】そうそう、一つひとつ真剣に(笑)。通じないってわかっているのに、当時は通じると思っていたんですよね。

【中浜】どこかで認知症や介護の知識を知っておけば、いざ自分の身になったときに、気持ちと対応がすごく変わってくるんでしょうね。

【福永】だいぶ変わりますよね。あとから「あー、それだったのか」ということもたくさんありますね。食事でいえば、普通のお年寄りのもの忘れは、食べたことは覚えているけど何を食べたかは覚えていない。でも、認知症は食べた記憶そのものが抜け落ちちゃう。同じように、さっきの電話の経験では、祖母は私が電話したことも覚えていなかったんです。だから、何も覚えていない祖母からすればあんなふうに怒っちゃうのかって理解できるようになりました。ひとつ知っているだけで大きく違ってくるんです。本の2ページ分くらいで説明できるような少しのことをみんなが知っていたら、直面した時にすごく楽なんじゃないかなって思います。

「一番つらいのは祖母自身だから」という想いと姉の支え

【中浜】おばあちゃんの認知症介護は本当に大変で精神的にもつらくて…それでも、おばあちゃんを支えようと思えるチカラってなんだったんでしょうか。

【福永】それは3つあります。1つは、自分の母がつらいからです。それはいやだから、私も一緒に手伝うんです。

【中浜】お母さんが自分の母を介護するつらさを感じているんですね。

【福永】2つめは、つらさを吐き出す場所があったからです。当時台湾に留学していた2番目の姉とインターネット電話のSkypeで連絡をとるようになって、「きょうはどうだった?」とかすごく聞いてくれていたんです。姉も途中まで介護したいたので、認知症の状態の祖母のことも知っているし、私の性格も知っているから、私が「こうだった」「ああだった」って言うと、姉はもちろん真剣に聞いてくれるのですが、「わぁ、マジで!?(笑)」と、くだけて返してくれるんです。それがすごい柔らかくて逆に話しやすくなる。これが友だち同士だったら、笑っちゃいけないっていう気持ちを与えてしまって、そんなやり取りはできないですよね。でも、姉は「まぁ、そこは気にしなくていいんじゃないの〜」みたいに、すごく軽く返してくれる。同時に真剣に心配してくれているのもわかる。長い時は1時間以上もずっと聞いてくれることもありましたね。

【中浜】ストレスを発散する場所があるというのは本当に大切ですよね。

【福永】3つめは祖母自身です。本人も、自分が記憶をなくしていることがわかっていて、自らメモ書きを残していました。「今日はこれを買う」とかメモ書きがいっぱい。祖母も自分で忘れないようにしていたんだなぁ、ということに気づきましたね。

【中浜】忘れちゃいけないっていう気持ちがちゃんとあるんですね。

【福永】そんなとき、ふと手にとったメモ書きに、「◯月◯日、陽子から電話があった。いつも声が明るくて心が安らぐ」って書いてあったんです。泣きそうになりました。それを見て、一番つらいのは、一番頑張ろうと、忘れてしまわないようにしていたのは、祖母自身だったんだなって実感しました。だから、自分も頑張んなきゃって思いました。
その後ももちろん、介護をする中で落ち込む日もありましたが、その度にメモ書きを見て、「ほんとはこう思っているんだ、祖母が一番辛いのだ」と思い返すことでやってこれましたね。

福永さんが認知症のおばあさんから受け取ったメモの実物

—おばあさんから受け取ったメモの実物

【中浜】家族もつらいけど、同時に本人もつらかった。自分が物忘れをしちゃうということがわかっている非常につらいなかで、どうにか解決策を探していたんですね。そうするなかで、自分のために娘や孫が何かしてくれているのはすごくうれしいはず。福永さんはその気持ちを知ることができたんですよね。

【福永】介護を受けている人には、必ずそういう気持ちがあると思います。私たちの場合は、その気持ちが形として残っていたということです。

家族みんなで知っていることが大切! SNSを活用した例

【中浜】Skypeでお姉さんと話していたということですが、ほかの家族ともやっていたんですか?

【福永】えーと、家族間でFacebookグループをつくりました。祖母の近況報告や伝言をするためです。

【中浜】どうしてつくろうとしたんですか?

【福永】祖母の情報をみんなで共有して、いつ誰が行っても対応できるようにするためです。あとは、祖母に刺激を与えてほしいという家族へのお願いもありました。近況を見て、誰も行けないときは誰かが電話をして刺激だけでもしてあげてっていう。

【中浜】すごいなぁ、って思う。僕は施設で働いているのですが、介護を受けている方について、近くにいる家族が知っていることと、遠くにいる家族が知っていることって違うんですよ。たとえ兄弟であっても、近くにいれば状況や大変さを知っているけど、遠くの人は知らない。遠くから久々に来ると「お母さん、なんでこんなことになっているの?」というように、親の変化を受け入れられなくなってしまうんです。感情的に高ぶってしまって家族同士で揉めてしまうこともよくあるんですよ。現実的に、離れていて何もできないのは仕方がないことですが、現状を知ってもらうというのはすごくいいなと思います!

【福永】なるほど。うちではすごい自然にやっていましたね。

【中浜】とはいえ、家族間でいざこざはなかったんですか?

【福永】直接的に騒ぐようなことはありませんでしたが、ちょっとした気持ちのすれ違いはありましたよ。Facebookでは、投稿を見たら「いいね!」で見たよ、という合図しようというルールを決めていたんですが、だんだんと合図してくれなくなったり、祖母への電話もなくなっていったり。

【中浜】家族が投稿をちゃんと読んだのかどうかわからなくなっていったんですね。

【福永】きっと見てはいるだろうとは思うんですが。
祖母の状況を継続的に知っていてほしいですし。祖母は毎日毎日気持ちの状態が違います。たまたま安定して穏やかな日もあるし、たまたま不安定でワーって怒鳴る日もある。そういうなかで、たまにしか来られない家族は、行ったその日の祖母の状態が普通なんだって勘違いしてしまうんです。それで、「きょう行ってきた。意外と大丈夫だね!」って投稿がある。「いやいや、たまたまだよそれ……」っていう気持ちになるんですよね(笑)。

【中浜】まさに僕が見ている揉め事もそれです。

【福永】だから、ちゃんと読んで「いいね!」だけでも押してくれたっていいじゃんって思っちゃうこともあったんです。

【中浜】切羽詰まった状況だと、「それくらいやってよ!」となりますよね。

【福永】そうそう。いつもは来られない人の方が気持ちに余裕があるだから、最低限できることはやってほしいなぁって思うんです。電話も5分も話さなくてよくて、1分でもいいんですよ。祖母には電話を取って、人と話すということが刺激になっているんですから。

施設入居へのジレンマ 「入れなきゃ危ない」私、「罪悪感で入れたくない」母

【中浜】今は施設に入居されているんですよね。それまで、介護を始めてどのくらいの期間だったんですか?

【福永】2007年の骨折から考えると、2012年12月だったので、そう考えると結構長いですね。認知症になってから、というと時期をはっきり覚えていないのでうまく言えないのですが。

【中浜】施設を考え始めたのはいつからですか?

【福永】2011年に姉が留学して以降です。良い施設があれば…という気持ちです。
そもそも本人が状況を認識できていないのと、認知症の検査やデイサービスも拒否していたので、無理やりにもできず。本人の拒否というのが非常に大きな障害でした。

【中浜】施設に入れるまでの葛藤もあったんですか?

【福永】施設に入れるかどうかの葛藤は、母の方に大きくありました。自分の親を施設に入れることは、親を見放すことになるんじゃないか、もう少し自分が頑張ればいいのに投げ出しちゃうことになるんじゃないか、ギリギリまで悩んでいるようでした。
入れようかと思っても、祖母の状態のいいところを見ると、そういうときは、慣れたところで最後まで暮らさせたいと思ってたようです。

【中浜】福永さんや兄弟はどうでしたか?

【福永】私たち子どもは「入れるなら入ったほうがいいんじゃない」という気持ちでした。というか、「入れなきゃやばいんじゃない」というくらいだったんですよ。

【中浜】おばあちゃんの症状が悪化していたんですね。

【福永】夏は冷房をつけずに暑い部屋にいるし、冬は暖房をつけずに寒い部屋にいる。お風呂も一人ではもう入れませんでした。
お線香を食べていたときもありました。お弁当になにか緑色のものが入っていて。どうやらお線香を砕いて入れていたみたいなんです。食べるのも危ないし、電子レンジに入れたら火事になっちゃうかもしれないし。
さらに心配なのは徘徊でした。明け方に家から徒歩30分くらいのところで発見されたり、真冬に外で発見されたり。それでも、母は決断することができずにいました。いろいろあり、迷っていた時期を過ぎてからは、祖母の気持ちを傷つけずにうまく施設に入ってもらう方法がみつからず、実行できませんでした。デイサービスも試みたことがありましたが、拒否されてできなかったので、家から出てほかに移るなど、無理なんじゃないかという思いでしたね。

【中浜】もし徘徊中に事故にあってしまっても、一番傷つくのはお母さんですよね。なんであのとき入れておかなかったんだろうって。そんな葛藤があったんですね。

【福永】そうなんです。施設に入ってから2年以上経ちますが、「ほかの人は毎日行っているみたいだから行かなきゃ」と口にすることもあって、「いやいや、そんなに行かなくていいから」と返しているんですけどね。自分の時間も大事にしないと。

【中浜】まだどこか罪悪感を感じ続けているみたいですね。

【福永】施設に入っている間ももちろん認知症は進むんですよね。だから、母は「私が行ってもっと刺激してあげなきゃ」と思うんでしょうね。行ったら行ったで荒れることもあるし、自分の娘だと認識してくれないこともあるし、そんなのを見たらかなりつらいだろうと思います。私も、そんな様子をみて、最後までこうなのかな、と一瞬思ってしまうことも。施設に入って、死んでしまうかもしれないという不安はなくなったけど、以前とは違う切なさが残るんですよね。

【中浜】お母さんの娘たちに対する思いって聞いたことありますか?

【福永】いつも、「ありがとう」よりも「ごめんね」が先に出るんです。仕事もあるし、やりたいこともあるのに来てくれて、ごめんね、って。ずっと、私たち子どもに対して申し訳ないと思っていたようです。一回だけ母にこう言ったことがあります。「私は、おばあちゃんのためでもあるけど、なによりお母さんがなるべくつらくならないためにやっているんだよ。」って。私がやっていることは普通のことだと思っていました。

【中浜】お母さんにもいろんな気持ちがあったんですね。

【福永】つらいとき、私は姉に吐き出していましたが、母は誰にも吐き出していなかったんじゃないでしょうか。周囲に対しての申し訳なさと祖母への複雑な感情を抱えていたと思います。

おばあちゃんを介護して「家族が親密になった」「自分が変わった」

【中浜】本当に大変な数年間だったと思いますが、おばあちゃん介護から得たものってなんでしょうか?

【福永】家族の、特に姉との距離がとても近くなったと思います。介護が始まる前までは、普段会うことはあっても、そんなに話しこむことがなかったんですよ。でも、介護のおかげっていうと変だけど、それからすごく話すようになりました。実は、私は、ほかの若い人もあると思うんですが、祖母がちょっと苦手でした。会っても敬語を遣ってしまうくらい。でも、それが一切なくなりました。つらい状況だからこそ本当のところが見えてくるんです。母は器用な人だけど実は抱え込んでいるんだ、祖母は芯が強くてつらいことでも自分でなんとかしようとする人なんだ、そんな人柄を知れたのは大きかったです。

【中浜】家族がひとつになったんですね。

【福永】はい。もちろん、父にも弟にも支えてもらいました。
祖母が認知症にならなかったらよかったのは当然だけど、それがなかったら今の私はないんです。

【中浜】そう言えるってすごいですね。

【福永】そのときまで、自分でなんとかしなきゃという経験がなくて、なにかあったら誰かが助けてくれるだろうという考え方でした。でも、目を背けられない状況になって、精神的に強くならなきゃいけないし、自分で手を動かして調べなきゃいけない。社会の厳しさも感じました。

【中浜】めちゃくちゃ強くなりましたね。

【福永】自分が変わったなって思いました。

大事なのは「気づいてあげられること」今はそれだけ知っていればいい

【中浜】介護を経験して、最初に認知症の知識があればよかったなぁとかいろんなことを感じたんですよね。誰もが通る介護をこれから経験する人に伝えたいことってなんでしょうか?

【福永】事前に今から介護や認知症について勉強しようと思っても、どうしてもその意気込みだけでストップしちゃいます。情報があふれているし、サービスもたくさんあるし、お金の話もあるし、結局どうしたらいいかわからなくなってしまう。

最初に大事なのは、(本人の)変化に気づいて疑ってあげることです。あれ、変だなと思ったら、どうかしちゃったんじゃないかなという目線をもってほしい。それが認知症でなければ、よかったねで終わるし、もし認知症だったとしても、そこで気づけば行動に移せる余裕があるんです。あれおかしいなと思うのは認知症の初期段階なので、進行を遅らせる治療ができることもあります。

【中浜】知識も大事だけど、まずは「あれ、おかしいな」と気づいて疑えるポイントだけ知っていることが大事なんですね。

【福永】そうですね。より本格的なことは、そこから調べたらいいんですよ。気づくことができれば、調べる時間的な余裕もありますからね。反対に、「あれ、おかしいな」という段階を過ぎてからいろいろ調べていたら、行動に移すことも遅れてしまうんです。

【中浜】そういう想いから動画サイトをつくったんですよね。

【福永】はい。「Mow&Lee」という認知症に関する動画を配信するサイトを立ち上げました。いま話したように、認知症がどういうものなのかを知っておくだけで、こんなに違うんだよってわかってほしいんです。

【中浜】認知症と関わってきた経験を発信して、同じような人が困らないようにという想いですね。

【福永】あと、介護経験を発信したいけど、発信する手段がないという声も多く聞いています。自分の介護経験を発信して共有すべきだし、自ら発信したいと思っている人はたくさんいるんです。いつになるかはわかりませんが、認知症や介護施設の情報だけではなく、一人ひとりの介護経験をみんなで共有できるポータルサイトをつくりたいと考えています。

【中浜】ちゃんとカタチにしていく行動力もすごいです。みんなの介護経験がシェアできて、「あれ、おかしいな」と思う人が増えていくといいですね。ありがとうございました!


Mow&Lee

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  • 編集者からの一言
    介護をする世代が変わりつつある事実がある中で、まだまだ他人事になってしまっています。ぜひ福永さんの経験を他人事として捉えるのではなく、自分ごとだと意識してもらえると彼女の経験が社会の役に立つのだと思います。

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    寄稿者

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    中浜 崇之

    二代目編集長。介護福祉士、ケアマネジャー。2014年に世田谷デイハウスイデア北烏山を立ち上げる。2010年より「介護を文化に」をテーマに介護ラボしゅうを立ち上げ運営中。(http://kaigolabo-shuu.jimdo.com/