利用する制度や資源が増えるほど、関わる人が増える
介護が必要となると、どうしたって介護を受ける人が中心となります。
介護保険をはじめ、地域にもたくさんの資源(介護を支えるための制度・人材・グループ等)があります。
うまく組み合わせて利用することは大事。
でも、制度や資源を利用すれば、その分、多くの人が関わってきます。
気づけば介護をマネジメントするだけで大変に
時には処理できないほどのことがのしかかってきて、身動きも、息もできないような感覚に襲われる気がするときもありました。
父の場合は大きな病気で倒れたことから介護状態になったため、病気の治療プラス在宅介護と、大きな病院で治療を受けつつ、在宅で療養する状況となりました。
病院への入院・通院は家族が付き添い、医者からの指示も受け、家族がケアマネージャーに伝え、必要な介護を検討することに。
関わるサービスの担当者へも詳しくは家族が説明をし、サービスを使う際の窓口は家族となりました。
家族がいれば当然なのですが、それでも父の介護に対するマネジメントを請け負わなければならないのです。
ショートステイ、デイサービス、ヘルパー・・・調整の日々
こんなこともありました。
母が人工股関節の手術を受けることになり、1カ月ほどの入院が必要となったことがありました。
私は仕事のため、父には数週間の予定で箱根湯本に近い温泉のある施設でショートステイを利用してもらうことにしました。
ショートステイに入ってから数日、母の手術がおわったころ、今度は父が心不全のため、御殿場の病院に入院となりました。
施設や病院から日に何度も電話があり、病院からはすぐに来るように言われ、東京と御殿場を何度も往復することになりました。電車の本数が少なく、夜遅くに東京につく深夜バスで帰ってきたことも。
そして退院となると、父が在宅で過ごすために、体制を整えなければなりません。
ケアマネージャーに病状等を伝え、リハビリやデイサービスがない日にはヘルパーや配食サービス等を頼み、そのほかに訪問看護や医師の往診も必要になりました。
それぞれにこれまでの状況や、これからどのようなサポートをしてほしいのかを説明して、それらをうまく回すために細かい連絡を毎回ノートに書き出し、ケアマネージャーとそれぞれのサービス担当者に伝える。それを仕事から帰り、行っていました。
自分の人生そのものが社会から遠ざかる感覚
このように入退院を繰り返し変わっていく状況に日々流され、いつの間にか自分の人生の主役ではなくなり、自分の人生なのかさえ分からない。
社会からも他のことからも切り離され途方に暮れるような・・・。
自分だけが社会の流れから置いていかれてどこかに取り残され、どこにどう行くのか、すべてを放り出して忘れてしまいたくなるような、どうしていいのかわからない気持ちです。
仕事も自分の生活も大切にしながらと思っていても、日々積み重ねられていくことが、どんどん重たくなってきます。
<続く>
この寄稿文は全3回の連載です。
この記事は、doppo の内容をアレンジしてお送りしています
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この記事の寄稿者
佐久間 理央
POLE・STAR株式会社ディレクター
大正大学大学院人間研究科修士課程修了(社会福祉学)。
私立国際武道大学、社会福祉法人武蔵野療園、社会福祉法人渋谷区社会福祉協議会等を経て現在POLE・STAR株式会社を設立。
主に福祉や生活に関する相談、コンサルティングを行っている。